77歳の伝記ライター 原田 勉
『電子耕』100号記念企画
「戦争を語り継ぐ」
2003.1.9
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「戦争を語り継ぐ」目次

1、私はこうして軍国少年になった
2、義兄の金鵄勲章
3、農業学校の軍事教練
4、中島飛行機エンジン試運転工
5、中島飛行機武蔵製作所の被爆
6、松山陸軍航空教育隊
7、軍隊生活・屍衛兵
8、仙台航空予備士官学校で敗戦
9、小説・五十年目の松山(その1その2

8、仙台航空予備士官学校で敗戦

戦争を語り継ぐ(8)

仙台航空予備士官学校で敗戦

 死の恐怖は1945(昭和20)年の夏、本土空襲がひどくなって、いつ何処でやられるかわからないという漠然とした恐怖から、現実になったのは兵舎をロケット爆弾に破壊され、防空壕がつぶれそうになった7月中旬だった。
 7月25日、私は、四国・松山市の大空襲の前々日、堀之内の陸軍第3航空教育隊から仙台・岩沼の陸軍航空予備士官学校(通称飛行学校・現仙台空港)に転属した。途中の大阪・名古屋・東京などほとんど焼け野が原であった。7月27日夜、岩沼到着。

仙台航空予備士官学校敷島隊第7区隊候補生44名、
最後列左から3人目が原田。1944年8月上旬撮影。
この後、間もなく米軍の爆撃を受け、兵舎・教室総て破壊された。


 飛行学校の幹部教育は航空力学などの学課を5日間くらい受けたが、8月上旬には米軍の航空母艦から発進したグラマン戦闘機が数機で来襲した。飛行学校の一期先輩たちは防空監視哨の機関砲で立ち向かって戦っていた。しかし、軍事施設は焼夷弾ではなく、爆弾と機銃掃射であった。一期先輩の戦友6名が1度の空襲で直撃をうけ、バラバラの死体になった。防空監視哨の機関砲など物の数ではなかた。その機関砲の射手も吹き飛んだ。われわれは区隊長と共に防空壕に待避していたが1メートルくらい掘り下げた壕に載せた木製の屋根が吹き飛んで、危なく命びろいをした。兵舎・教室は総て粉々に飛び散った。米軍の艦載機は地上を逃げまどういるわれわれを狙って機銃掃射を続けたが、やがて1時間くらいで引き揚げた。

 後で、被害を受けた戦友のバラバラ死体を拾い集めて収容した。しかし、翌朝、野良犬が人の腕をくわえているのを見て更に恐怖がつのった。さらに草の根を分けて死体を探した。
 翌日も毎日8時45分になると艦載機が来襲して、軍事施設にはロケット弾を落とし、後は軍人を狙い機銃掃射を続けた。敵飛行機と戦う武器がないわれわれは、受け身になって、物陰に逃げ地上の芋畑に伏せる外なかった。その上をかすめる機関砲の弾丸に肝を潰した。毛布に包んだ来るんだ私物箱に命中し、今にも背中を打ち抜かれる恐怖だった。今思うと、それは戦争だったから誰でも経験する時代だった。
 やがて、3日もすると士官候補生は全員が、午前8時まえに、朝食を済ませ、昼食を背負って山中に待避し、何もする事がなく夕方は兵舎に帰った。残った施設は片屋根の車庫だけだった。そこに毛布にくるまり寝るだけだった。それを繰り返し、やがて、8・15の敗戦を迎えた。

1945年8月15日は、前と同じく山の中に待避していて天皇の終戦の放送は直接聞かなかった。いや、学校の校長は候補生の反乱・混乱を恐れて翌日になってから、全員を校庭に集合させ、敗戦の通告と阿南陸軍大臣の自決などを報告した。その時、初めて候補生全員が敗戦を知り号泣した。

 敗戦後は、占領政策が定まらないのか将校並びに士官候補生の措置は現在地に留まれというだけだった。東北・北海道の軍隊はソ連に抑留されるという風聞も流れた。その後訓練もなく、毎日、魚取りをするくらいであった。その間にポッタム宣言の内容を伝え聞き、軍隊の解散を予知した。

 9月15日、ようやく近県のものから順に復員させることになった。
 「陸軍後備役軍曹ヲ命ズ」という辞令と復員証明書、給料700円余、毛布3枚と冬の軍装一揃い、私物などを背嚢に詰めて飛行学校をあとにした。
(後の話になるが、この「後備役軍曹を命ズ」という辞令は警察予備隊・自衛隊の復活の時に再び召集されるのではという恐怖を感じた。現在準備されている有事立法については神経質にならざるを得ない。)
 私は福島県勿来(なこそ)町に疎開していた石渉家を目指した。岩沼から平駅で汽車は終点になり、旅館を訪ねたが断られ路上にむしろを敷いて寝る。翌日、勿来に帰った。農家の物置を改造した離れの家屋で久しぶりに畳の上で寝たとき初めて敗戦で、命びろいしたことの実感を味わった。9月末、家族みんなで記念写真を撮る。そこで平和の有り難さ貴さを噛みしめた。

敗戦後、福島県勿来(なこそ)、石渉家の疎開先に帰還。
1945年9月末、家族と共に暮らすようになって初めて平和の尊さを実感する。
(前列2歳の幼児は、現在の劇団文化座代表・佐々木愛



戦争を語り継ぐ(1〜8)終わり


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