*****ここから『電子耕』**********************************************   隔週刊「76歳が送る農業文化マガジン『電子耕』」  第70号   --農業・健康・食・図書・人物情報--  2001.11.08(木)発行      東京・ひばりが丘  原田 勉 *******************************発行部数 1888部(前号比146部増)****** <キーワード>   農林・園芸を中心として健康・食べ物・図書・人名・庶民の歴史をめぐる情 報を提供し、お互いに<読者の声>のメール交換をしましょう。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 目 次--------------------------------------------------------------- <読者の声> 10/24かしこさん、10/24カゲヤマまさん、10/25文化座さん、10/26中原さん、 <舌耕のネタ>「そば屋に動物が3匹いる?」 <菜園だより>水仙の花に期待し、春菊を食べる <農業・図書情報>「農村と都市をむすぶ」600号記念へのメッセージ <日本たまご事情>それは中国卵の輸入から始まった(2) <農業・図書情報>農文協図書館の大谷省三文庫紹介 <日中交流情報>日中交流の新段階(毎日新聞社・紀平重成) <想い出の人々>2、山崎不二夫先生を想う <私の近況報告>10月25〜11月7日 <ガン情報>多発性骨髄腫にサリドマイドは「不思議の薬」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <読者の声>ここはメール交換の場です。編集者はコメントしない場合もあり ますがこれは、メールを無視したわけでは無く、読者同士の交流にゆだねると いう意味ですからご了承下さい。---------------------------------------- <読者の声> ■10/24かしこさん:はじめまして、 始めまして。今回読者登録をしました。よろしくお願いします。 ところで農文協図書館にお勤めの由、私ももう15、6年前でしょうか。 お訪ねしてお世話になったことがあります。コピーをお願いした時なにかさか しらなことを申し上げたらしく一喝されたことを覚えております。あの時の方 でしょうか。私は米穀関係資料はこつこつ集めましたが、もとより農文協図書 館に比すべくもありません。面白いお話が伺えるかと楽しみにしております。               かしこ  ●コメント:農文協図書館もその後変わりました。詳しくはホームページでご 覧下さい。個人文庫の登録が10人を超えました。インターネットで公開して います。 ■10/24カゲヤマまさん:パキスタンで米の節水栽培できますか、 私の大事な人の両親はパキスタンで農家をやっているのですが、問題がありま す。 パキスタン北部でダムを作り始め、南部に位置する彼の農家は北から流れてく る川(雨)が南までこず、お米の収穫が悪く経営も困難となってきています。 彼の父も年老いてきているので今さら別の商売に変えることも難しいのです。 そこで質問ですが少量の水でもお米が育つ方法ってあるのでしょうか? よろしく回答お願いいたします。 カゲヤマ ●コメント:回答は日本で稲作専門家にお願いしています。 ■10/25文化座さん、 原田勉様 先日はご来場いただきありがとうございました。 「電子耕」拝見しました。ありがとうございました。 佐々木愛にもプリントして渡します。 劇団は、11、12月の東北公演「いろはに金米糖」の 体制になり、また、慌ただしくなりました。 先急ぎお礼をと思いまして、メールしました。                 劇団文化座 津端 次回公演 「瞽女さ、きてくんない」 2002年2月9日〜17日・サンシャイン劇場 ――――――――――――――――――――― 劇団文化座 〒114-0014 東京都北区田端3-22-12 TEL03-3828-2216/FAX03-3828-2260 HP http://bunkaza.com Mail info@bunkaza.com ■10/26中原さん、 原田 先輩  秋風さわやか 病とも喧嘩されずに,ご活躍のご様子 なによりです。 敬 服。  大谷先生の想いでを書かれている件に、我が同期の 石倉君がでていたので、 松江の石倉宅に電話するも不在の様子。残念。  11月10日農経会で先輩にお会い出来ることを楽しみに。    中原  拝 ●コメント:忙しいところ有り難う。難病と公表してからメールが少なくなり ました。おそらく何と言ってなぐさめたらよいか、お困りのことでしょう。で も私は1日おきの勤務で元気です。10日の農経会には出席します。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <舌耕のネタ>「そば屋に動物が3匹いる?」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  そば屋に入ったら女の子が、「お父さん、ここには動物が3匹いるね」とい った。はて何だろう?。  この話を山崎農業研究所の研究会のあとの飲み会で、学者・研究者に問うた ら、「ううーむ」といったきり返事がなかった。しばらくして私が「きつね」 が1匹、というと「なるほど、あとはたぬきだね」まではよかった。もう1匹 が出てこない。「頭が固いね」といいながら、「何ですか」ときた。あとは 「大ざる」と張り紙してあったそうだ。で終わり。  これはユーモアの見本。おとなはダメね。かく言う私も『ユーモア革命』阿 刀田高・文春新書 http://www.trc.co.jp/trc/book/book.idc?JLA=01048966 の受け売りだった。  アメリカのテロ対策に世界中が巻き込まれて、すっかりユーモアやウイット を忘れ去っている。テレビを見ていて、こんなひきつった顔の感覚のリーダー とそれに追随するばかりのリーダーに任せていいのか。  ユーモアはもって生まれた体液からくる。ウイットは知能から生まれるとい う。ユーモアは難しいがせめて、ウイットはできるだけ努力して知恵・知能で 産みだそう。努力すればある程度できる。水平思考もその一つという。  返事に困るような難病の話は、ほどほどにしなくては、という私の自戒であ る。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <菜園だより>正月の水仙花に期待すし、春菊を食べる ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  もう11月ですね。あと52日で近藤康男先生は103歳の誕生日を迎えら れる。寒さはだんだん厳しくなるが日本水仙は葉を伸ばしている。洋種よりも はるかに早く咲く水仙だ。いまから楽しみに毎日庭を眺めている。春菊も本葉 4、5枚になった。茎立ちしたのをつまんでたべる。ほうれん草は同じ時期に 蒔いたのに芽だちも伸びも遅い。作物もいろいろ性質が違うようだ。  明日は八丈島のかき菜の種を蒔こう。南国産はかきなもあしたば(明日葉) もやわらかいと八丈出身の園芸家が教えてくれた。一雨ごとに寒くなるが、雨 は作物の種たちにとって天のめぐみだ。雨のすくないアフガニスタン住民の苦 しみを思う。住む地域によってこんなに天の恵みが異なるのはなぜだろう。   ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <農業・図書情報>「農村と都市をむすぶ」600号記念へのメッセージ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  10月25日全農林労働組合の機関誌の創刊50年周年・600号記念シン ポとお祝いのレセプションが青山であった。労組が50年も継続して雑誌を発 行したのは希有の出来事としてめでたい。以下は、それに出席した元編集代表 のメッセージである。 「農村と都市を結んだ些細な一例」       近藤 康男  『農村と都市をむすぶ』という本誌の誌名は、労働者の組織はその活動にお いて農民の要求と結びつかねばならないという大方針を宣言したものである。  全国組織である全農林がとり上げる問題は全国的な大問題が多く、これに反 して地域的な小問題は多くないのが当然である。本誌の創刊号の所見を述べた 緒論が本誌のスタートする意義を当時の主要問題であった食糧管理制度の問題 にあるとしていることなどにそれは見られる。百万人の署名を求めて諸団体と も協力した運動もあったが、いづれも重要な問題で広く全国的に解決を要する 問題である。国際化時代になればそれは一層著しいものになるのが当然であろ う。  しかし、労働者と農民が団結せねばならない問題は全国的大問題にのみ限ら れるとは言えないと私は思う。地域的での小問題についても、労働者・農民の 一致した活動が立派な結果をもたらした例もあることを知らねばならない。  ここに一例として私の忘れ難い例を述べたい。それは本誌が出発して間もな い頃、蜷川虎三さんが京都府知事で民主的府政をしていた時代のことである。  勿論、農林省が日本農業の零細性打破をめざして耕地整理に力をいれていた 時代である。大蔵省統計が我国田畑所有の単位は一筆当たり全国平均で僅かに 七反に過ぎないと言っていた時代は遠くなった。しかし、農村、ことに山村に は古い時代の状況を残すものが多かった。京都府の日本海に面した農山村はそ の一つではなかっただろうか。農林省がA村の中心、a部落の土地整備事業を 認定したのであったが、整備する土地の1区画を30アールとしたのは、農業 機械化を目標としたものであった。しかし、その30アールの区画面積はA村 の伝統的農法と副業的販売作物を続けていたa部落の農家が反発し、工事着手 に反対決議となった。  この解決をしたのがB氏を中心とした労働者と農民の結びつきによるもので あった。B氏は同部落出身であるが、永年にわたって学校教師を勤め、日教組 に属する教育労働者であって、このとき郷里に帰り、部落の村役場連絡員とし てこの問題の処理を担当したのであった。日教組時代に体得した紛争処理方式 によって、各農家について詳しい調査によって解決策を求め、改良地の各面積 を「18アールとするなら工事賛成」という部落の意見を決定し、工事も地元 業者に請け負わせて地元雇用の拡大により開発行政を地域産業の発展に役立て た。これにより土地整備による生産性向上を期待する農家も賛成したし、反対 していた農家も賛成するものであった。それを村の意見として府に提出し、蜷 川府政がその採用を認めたのであった。 問題は一部落の問題で、些細なことである。しかし農家にとっては土地改良 に続く農業機械化などの過剰投資の問題と土地改良による生産力増加を期待で きるチャンスを放棄すべきか否かの、選択という重要な問題である。B氏の解 答はその中道を行くものであった。氏がその郷土の農家の幸福を願う心情によ る活動であったのに相違ない。私はここに農村と都市との結び方の原型を見る のである。 (追記)この京都調査については、当時全農林と「農林行政を考える会」から 五人を派遣した調査報告を、本誌第23巻第5号・1973年5月号に梶井功 氏の詳しい報告を掲げている。ご参照下さい) 2001年10月25日 「農村と都市をむすぶ」 http://www.catnet.ne.jp/zennorin/noson/nouson.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <日本たまご事情>それは中国卵の輸入から始まった(2)斎藤富士雄 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 10/30原田先輩 脳梗塞に倒れてから5ヶ月たちます。 左脳をやられたためか計算機能がすっかり駄目になりました、もう仕事はいい かげんに止めとけと言うサインかもしれません。 その代わりと言ってはなんですがやたらと右脳が元気がよいのです。 今ごろになって変ですが感受性が強くなったのです、ピアソラのタンゴの曲を 聴いていると腸がよじれるほど悲しいのです。 こんなことは始めてです、病気は悪いことばっかりではありませんね。 齋藤 富士雄 (株)愛鶏園 http://www.ikn.co.jp/ それは中国卵の輸入から始まった(2) 1922年、中国卵が日本国内消費量の三分の一を占めたことは既に述べた。 それを巻き返して輸入ゼロに持ち込んだ努力とはなんであったのだろう? 当時、セーフガードによる高率関税などあるわけはなし、どうしたのであろう? 業界の危機に対処した先人たちの努力を振り返ってみよう。 当時の上海卵は揚子江沿岸で放し飼いされていた農家の卵を小船で集め纏めて 上海で日本向けに箱詰され出荷されていた。 夏季は品質の問題で極端に少なくなり、冬季にそれは集中した。 それでも腐敗卵の混入は避けられづ、輸入鶏卵問屋はその抜き取りが大事な仕 事であった。 一方日本国内の生産体制も主力は農家の10羽前後の放し飼いによるもので、 これをかき集めて都市部に供給したが鶏卵の品質は50歩100歩であった。 中国卵輸入の危機をきっかけに、国及び民間による種鶏改良事業、飼育方式の 改善(放し飼いから屋内飼育へ)、飼料配合の技術開発、その他に本格的に取 り組み、いわゆる近代養鶏の導火線になった。 同時に撤廃された関税25%を5年がかりで復活させたが、やはり一番大きか ったのは中国にない品質の鶏卵を安く大量に作るシステムを官民一体で作り上 げたことによるのであろう。 決して禁止的な保護関税に守られたものではなく、養鶏農家の切磋琢磨と自助 努力が最終的にものをいった。 ●コメント:10/30 斎藤さん。病気に学ぶということは、私も経験しています。貴重なご意見 有難う。 たまごのこと思い出しました。昭和14年ころ、天草の我が家でも養鶏を 50羽くらいやっていました。精米所の糠利用です。村では5戸くらいの 共同出荷でもみがら詰めの作業を我が家に集まってやっていました。仲間 のうちの人が中国戦線からの一時帰還兵で中国上海などの事情を話してい ました。 原田勉 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <農業・図書情報>農文協図書館の大谷省三文庫紹介 http://www.ruralnet.or.jp/nbklib/book/082ootanibunko.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 大谷省三(おおたに せいぞう)1909〜1994 略歴:1909年、島根県大国村に生まれる。 33年東大農業経済学科卒業。 33〜40年帝国農会参事。 40〜44年中央物価統制協力会議・農林省農政局嘱託、東亜農業研究所研究 員として勤務。 44年11月北海道庁特高課に逮捕され、 45年8月釈放される。 46年北海道大学講師を経て 47年1月、東京農林専門学校教授になる。 51〜73年東京農工大学農学部教授。 73〜75年山梨大学教育学部教授。 76〜87年岐阜経済大学教授。  この間、農業機械化審議会専門委員、学術奨励審議会委員、日本学術会議会 員、日本農業経済学会会長、農業問題研究会議代表委員として活躍した。 94年5月死去84歳。(書架には近年、執筆した雑誌類が殆どで自著以外の 蔵書は大学などへ寄贈されてここには無い)。  主な著作  『国土の改造』岩波書店 1953  『自然を作りかえる』牧書店 1959  『現代日本農業経済論』編著 農山漁村文化協会 1963  『日本農業の課題』農山漁村文化協会 1967  『現代農業経営論』編著 農山漁村文化協会 1966  『自作農論・技術論』農山漁村文化協会 1973 (退官記念に主要論文を集め、併せて業績と著作目録をつけたもの)  『日本農政の基調』農山漁村文化協会 1973  『農業再建への提言』近藤康男と共編 全国協同出版株式会社 1975  『食糧自給をどう考えるか』川崎健と共編 時事通信社 1976  『農業再編成を考える』近藤康男と共編 全国協同出版株式会社 1976  『土地改良を考える』編著 日本イリゲーションクラブ 1978  『地域農政のあり方を問う』編著 時潮社 1978  『日本に食糧問題はないか』編著 文新社 1979  『私の生きてきた道』新制作社 1979  『研究生活五〇年に思う』新制作社 1987 <参考資料>  『大谷省三 情熱と信念のひと』(大谷省三先生を偲ぶ文集刊行会 新制作 社 1995(経歴・退官後の著作目録を含む)  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <日中交流情報>日中交流の新段階(毎日新聞社・紀平重成) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 10月11日の出版ダイジェストにインタービュー記事がのった。タイトル は「世界を動かす21世紀の日中交流」と題し、農文協の坂本尚に聞く。 「21世紀はアジアの時代。そしてアジアの盟主は間違いなく中国です。それ を中国自身が自覚するようお手伝いしていくのが日本の役割です」  中国を「唯一の帝国主義」と批判する石原都知事が聞いたら目を剥きそうな せりふをにこやかに口にしているのは農文協の専務理事坂本尚さんだ。 (1面のインタビュー記事の見出しと要約を紹介します) 1、侵略への贖罪から「アジアの盟主」をサポート 2、出版を通じて互いの農業を知る 3、日中農民の民間交流を支援 4、地球環境を見据えた21世紀の交流 「お茶が中国から入って茶道という日本独自のものになった。その国の自然や 文化と一体となって発展すればいい。21世紀の文化のあり方はまさにこれで すよ」坂本さんの交流事業への関わりはますます深まりそうである。 2、3面は「地域に根づく農業交流=農文協の日中協力活動、15年の歩み」 ・まず、中国農業科学院に文献陳列室を開設 ・日本農業科学技術応用研究室の発足 ・地域農業・農村計画策定の仕事 ・日中酪農民の直接交流の開始 ・思想家・哲学者との交流へ (15年の主な活動年表) URL「日中交流の窓」 http://www.ruralnet.or.jp/ja_zh/ (本誌希望者は農文協普及企画部へ電話03-3585-1141で申し込んで 下さい) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <想い出の人々>2、山崎不二夫先生を想う ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   茜雲の彼方 先生から頂いた絵はがきが私の飾り棚にある。山の彼方に横たう茜雲の風景 である。  この原画を先生の応接間で拝見したとき、「人生の彼岸」を思った。先生の 心象の表現かと、はっとした。その後お伺いしたとき十津川の釣り橋を拝見し た。「現地に行かれたんですか」と聞いた。「いいや写真だよ」と言われた。  それにしても、釣り橋をわたる一人の人物がいかにも寂しそうだった。元気 が出ないんだよ、ともおっしゃった。なんとか元気を出して戴きたいと、昨年 10月松坂正次郎と井上喜一郎をさそって「水田ものがたり」の完成と刊行を お勧めした。そのとき「近藤康男先生は95歳でまだお元気ですよ」と励まし、 聞書きの方法もありますからと、その具体化を相談した。その後今年の1月末、 次の葉書を受け取った。  「前略 昨年末肺炎かと思い入院、検査の結果肺がんと判明し放射線治療を はじめました。高齢で、進行がおそいから残された時間はかなりありそうです が、まだ見当がつきません。一年位の余裕が見込めれば例の「水田ものがたり」 に手をいれ最後の仕事にしたいと思っています。その節は御援助下さい。きび しい寒さです、くれぐれも御自愛のほどを。 草々」 2月17日お見舞いしたら、机の上には工楽さんの『水田の考古学』があっ た。また「土木学会に頼んで世界の水田の資料を集めている。田淵さんの南方 の水田の報告をきいた」とおっしゃる。例によって、<話しの聞き上手>誰そ れはどうしてる、と消息を聞かれる。そして「そう、そうかね」と御満足。そ れが先生との会話の最期になった。 1945年11月、府中の東京農専に陸軍予備士官学校から転入学して、敗 戦直後の混乱期に私の人生観を革命的に変革する場を与えて下さったのは先生 だった。それ以来約50年、何かにつけて励ましを受けてきた。とくに195 2年メーデー事件で潜行し、非合法な組織に属し、軍事基地反対と農民運動に 従っていた私を「君は偉い」と励まして下さった。先生が戦前から念じておら れた社会活動に身を挺したいという考えを弟子が自分の代わりにやっていると 感じられたようだった。これは先生が中学時代の思い出として書かれた中にあ る。「関東大震災のとき群衆が朝鮮人を殴打する光景に出会い、甘粕憲兵大尉 が大杉栄らを虐殺するという事件のショックは大きかった。このことが社会主 義に近ずく影響をあたえた」という。そして学生時代から終生の基本姿勢とな ったのであろう。  私の立場は内外ともに困難なときで、表だって支援する人も少なくなってい た時だけにその温情は有り難かった。その後、農文協の貧乏時代もいつも静か に笑顔で励まして頂き、執筆者の紹介などもご協力戴いた。1974年には山 崎農研の設立総会を農文協の新館で行って頂いた。これも一つの教え子を応援 する愛情の表現である。そして79年には私の「戦後農業ジャーナリズムの研 究」に研究助成を頂いた。戦後民主主義運動期のジャーナリズムの役割と自ら の半生の自己批判の機会となった。  先生が「耕」に連載された「私の履歴書」と古希に出版された『研究生活四 十年』の編集のお手伝いをしたとき、「父上のことは詳しく出ているが、母上 のことはと殆ど見えないのは如何ですか」と聞いた。普通、男の人は父のこと よりも母のことを多く書かれるがと思ったからである。  その時先生は、「書こうと思ってぺんをとっても、母を思うと涙が止まらな くなる」とのお答にこちらも絶句した。夫、長男、娘の殆どを結核で失った母 の悲しみを、終生思い、そして自らも結核と闘いつづけられた苦難は、とても 筆舌につくし難いものがあったのだ。外から見ると、何不自由ない方とお見受 けしていたが、悲しみを内に秘めておられた。それがあの数々の絵にも現れて いると思う。それにしても何と芯の強いお方であったことか。  その現れが、「ベトナムにおける戦争犯罪調査委員会」への参加であり、日 本科学者会議の組織確立と事務局長就任であった。これは科学研究者でも容易 ではないことである。一方では農地工学の研究をまとめながら、アメリカの戦 争犯罪の糾弾を国際的組織として行った功績は大きい。また、科学者運動のオ ルガナイザーとして科学者の自主的・民主的組織をつくられ、「科学の総合化 と科学者会議の創造活動」を提起された。 そして、70歳のときに次のように述べられた。 「久しぶりに研究論文を書いてみて、視力や根気が衰え、仕事の能率は著しく 落ちたが、頭脳のほうはまだ役にたつことがわかった。関東大震災のとき朝鮮 人に対して行われた蛮行を目撃して<人間の苦難に対する耐えがたい心の痛み >を経験したがこれからもこのパッションを原動力にして、人間の苦難の軽減・ 除去に役立つ研究をできるかぎり続けてゆきたいと思う」  先生は、その後15年、最後の病床まで、その姿勢をもち続けられた。  私もあと半年で、先生が『研究生活四十年』を書かれた歳になる。この結語 を読み、自分は、今は亡き先生のように生きられるかと思い、恥じ入るばかり である。  茜雲の彼方のおわす、山崎不二夫先生を想い、いよいよ自分だけだ生きてゆ くしかないないと覚悟し、一日一日を送ろう。 (『回想の山崎不二夫先生』山崎農業研究所所報「耕」65号1994年55 ページから)  なお、農文協図書館の山崎文庫には「老い」についての図書があるのでご参 考に掲げる。 『老いの人類史』『老いは問う』『日本の名随筆・老』という本が先生の蔵書 にあった。老いは誰も避けて通れないもの、先生も老いについて探索し、年を 取ることの意味を考えられたようだ。そして「老年は青春に劣らぬ優美さと力 強さと魅力をそなえて君達のあとからやってくる」というホイットマンの詩を 讀まれたようだ。随筆集にしおりひもが入っていた、富士正晴の「老いの言語 的生態学」という文章のところであった。ここには「老い」と「老」とのつく 文字を70余りもあげて解説している。(原田 勉) http://www.ruralnet.or.jp/nbklib/book/073yamazakibunko.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <私の近況報告>10月25〜11月7日 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ・10月25日、全農林労働組合の機関誌の創刊50年周年・600号記念シ ンポとお祝いのレセプションが青山であった。それに招待された元編集代表近 藤康男先生の秘書としてお供をする。メッセージは本誌に掲載した。 ・謹呈の図書、2点あった。いずれも農文協図書館に寄贈する。 1、『多摩丘陵の自然と研究』安富六郎他編著、けやき出版2001発行 −フィールドサイエンスへの招待−東京農工大学の波丘地研究の成果として今 後里山利用の参考事例となるだろう。 2、『きいて かいて 学んだ45年』森川辰夫著2001私家版 東京教育大学農学部卒業から弘前大学教育学部退官までの45年の記録。一種 の菱沼達也論になっている。 ・26日、古瀬傳蔵顕彰事業のことで同氏の三男、間宮照夫氏来訪。農文協の 創立者で長野県木曽郡大桑村出身だから、同村に在住の古瀬傳蔵氏の本家や親 族を訪問することで打ち合わせをする。 ・29日、山崎農業研究所で「農業・農村と水」編集委員会が行われる。 単行本にするには、書名『水と命』など・読者対象・はしがき(ねらい)を決 め、短いコラムを会員から募集することなどを検討することになった。 ・30日、「日本たまご事情」を寄稿して頂いている斎藤富士雄さんから「左 脳をやられて計算機能が駄目になった。だけど右脳が感受性が強くなった。病 気は悪いことばかりではありません」というメールに感動した。限りある命を 自覚しながら身辺整理をすることも見えないものが見えてくる。 ・31日農文協図書館のホームページに掲載する石川英夫氏、岩崎文雄氏の略 歴原稿が入った。1部修正をお願いする。 11月6日、東京逓信病院血液内科の診療をうける。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <ガン情報>多発性骨髄腫にサリドマイドは「不思議の薬」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  「日本骨髄腫患者の会」 http://www.myeloma.gr.jp/ では10月27日の研究会と28日の総会・講演会が行われた。その中で「化 学療法や移植、サリドマイド治療などの新しい治療法」が検討・講演された。 (その一部を紹介する)  骨髄腫は現在のところ確立された治療法はないが、熱心な医師と患者・家族 が「日本骨髄腫患者の会」を組織して新しい治療法をアメリカなどの研究成果 を取り入れ助け合い、交流している。その一つがサリドマイドの利用だ。  かつて睡眠薬として利用されたが妊娠中だと胎児の発育をさまたげ奇形を産 むとして「悪魔の薬」と言われた。それが、新しい治療薬として有望だという ことがわかってきた。血管新生を抑制する効果があるという。日本国内では現 在市販されていないが、輸入によって自費で入手できる。病院によって医師が 倫理委員会に申請してという手続きが必要だが、すでに使っている人もある。 『不思議の薬ーサリドマイドの話』鳩飼きい子著2001年9月刊 潮出版社 1200円という本も出版されている。著者はサリドマイドの被害を受けた主 婦であるという。 http://www.trc.co.jp/trc/book/book.idc?JLA=01041718 目次 序章・HIV事件発覚 誕生 疑惑 マスコミ動く レンツ警告発覚 退社 直訴 初会合から訴訟へ わが家の変革 子供たち 裁判 キャンプの思い出 和解へ 裁判終結 サリドマイド復活 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━PR━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■■■■  劇団文化座創立60周年記念第2弾 斎藤真一没後10年 ■■■□     劇団文化座・サンシャイン劇場提携公演 ■■□□        『 瞽女さ、きてくんない 』 ■□□□      脚本/堀江安夫・演出/佐々木雄二 □□□□   公演日程 2002年2月9日(土)〜17日(日) □□□□ 会場 池袋サンシャイン劇場 前売開始 2001年12月3日(月) http://bunkaza.com/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━PR━━━ 『電子耕』から大切なお知らせ http://nazuna.com/tom/10.html <本誌記事の無断転載を禁じます> ********************************************************************   隔週刊「76歳が送る農業文化マガジン『電子耕』」  第70号 バックナンバー・購読申し込み/解除案内 http://nazuna.com/tom/denshico.html 2001.11.08(木)発行      東京・ひばりが丘  原田 勉 mailto:tom@nazuna.com ***発行部数 1888部(前号比146部増)**********ここまで『電子耕』*******