*****ここから『電子耕』**********************************************   隔週刊「76歳が送る農業文化マガジン『電子耕』」  第69号   --農業・健康・食・図書・人物情報--  2001.10.25(木)発行      東京・ひばりケ丘  原田 勉 *******************************発行部数 1742部(前号比378部増)****** <キーワード>   農林・園芸を中心として健康・食べ物・図書・人名・庶民の歴史をめぐる情 報を提供し、お互いに<読者の声>のメール交換をしましょう。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 目 次--------------------------------------------------------------- <読者の声>堀越さん、安富さん、山根さん、 <舌耕のネタ>「戦争協力より戦後復興を考えよ」 <菜園だより>黄カラシナの浅漬け <日本たまご事情>それは中国卵の輸入から始まった(1) <演劇情報>文化座公演『夢たち』と三好十郎先生の教え <農業・図書情報>農文協図書館の団野信夫文庫紹介 <想い出の人々>1、駒場社研と二人の恩師                <私の近況報告>10月11〜24日文化座の芝居、山田夫妻と会食 <<*訂正記事>> 「支那事変」とあるは日中戦争 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <読者の声>ここはメール交換の場です。編集者はコメントしない場合もあり ますがこれは、メールを無視したわけでは無く、読者同士の交流にゆだねると いう意味ですからご了承下さい。---------------------------------------- <読者の声> ■堀越さん:中国同窓会の訪中から帰ってきました。杭州の淅江大学で中国代 表の宋秉彝さんが挨拶の中で「原田氏は中日友好の模範と言っても過言ではな い。農林科学院と農文協との関係では重要な成果をあげた。日中友好会を組織 し活動に心血を注いできた。高尚な人格、勤勉さに心からのお礼をお伝え下さ い」とのことでした。そのうち秋冬野菜がとれたらお宅へ届ます。 ■安富さん:東京農工大学の教授OBで組織しているけやき会で元気な渡部先 生に会いました。ガンはすっかり治ったようで、お酒も飲んでおられました。 他の先生方の消息をFAXで送ります。お元気に。 ■山根さん:私の夫は腰痛から始まり前立腺ガンから第8胸椎に転移したため だとわかりました。2人3脚で頑張りましたが、71歳で終わりました。でも 私はいつも側にいてくれていると信じています。「身命は露よりも脆し」で私 も明日のことはわかりませんが、ガンのもとは皆持っているとか、ゆっくりゆ っくりしてくれるといいですね。そして痛みがなければ有り難いですね。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <舌耕のネタ>「戦争協力より戦後復興を考えよ」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  アフガニスタンは、今戦火のに中にある。しかし終わりの無い戦争はない。 いつかは和平復興の時期が訪れる。その時こそ、日本が大きな役割を果たすと きだ。現在のアメリカに協力支援して軍隊など送ってはならない。それより戦 後復興こそ日本に与えられたチャンスだ。  今度の戦争は、その原因を遡れば英米の植民地主義とイスラム対策への不信 にあると言っていい。とくにアフガンは地勢気候の条件も悪く、人民は貧困に 喘いでいる。高冷・乾燥地で農産物は育たず、資源は少ない。麻薬・誘拐・テ ロリズムの温床となっている。そこで何が出来るか。  すでに日本のNGOの支援組織が井戸掘りの技術援助をしていたという。そ れも戦争で引き揚げたという。和平復興のカギは農林畜産業振興である。砂漠 農業の研究では節水栽培など国際的評価を受けている。その外にも農業土木や 植林、食糧生産などの学術・技術援助の方法が多くある筈だ。産業復興と資源 開発に企業も参加しながら地域の自立と安定化に貢献できるのは日本や韓国・ 中国などアジア諸国であろう。アフガンにとって英米露は「悪」のイメージし かない。日本だけはまだ悪の印象を与えていない。  戦後復興について日本はアフガニスタンの各派は勿論隣接するパキスタン、 イラン、タジキスタンなどの国々の人とも信頼関係を維持している。  この機会に日本とイスラーム世界との信頼醸成のために今から考えるべきだ ろう。すでにベトナム、カンボジアなどの支援の実績もあることだし、米軍の 後方支援だけが緊急の問題ではないであろう。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <菜園だより>黄カラシナの浅漬け ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  9月上旬種蒔きした黄カラシナの間引きを10月上・中旬の2回行う。本葉 4、5枚になって浅漬けに適当なものになった。育ちゆく葉物を観察するのは 毎朝の楽しみだが、わが家の食卓に登るのはさらに楽しい。  間引きしてザルいっぱいになったものを根を切り、茎と葉だけ軽く塩もみし て熱湯をかける。それにまた塩をふり、軽く重石をのせる。翌日は浅漬けの出 来上がり。ちょっぴり辛口で朝ご飯の上にのせる。おかずというより、日本式 スパイスの感じになった。  霜が降りるころにはたくましく育つだろう。春まで待つと茎立ちする。それ が収穫の適期だという。辛みの利いた漬物になるだろうか。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <日本たまご事情>それは中国卵の輸入から始まった(1) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 原田先輩 病気のこと伺いました、心配しております。 実は小生6月に脳梗塞で倒れ現在リハビリ中です。 なんとか日常生活をこなせるまで回復しましたが、右手の麻痺で字が思うよう に書けません。 有難いことにパソコンは時間をかけてなんとかなります。 脳の回路は8割がたつながっているようです。 迂闊なことですが生まれて始めて「人生の残り時間」と「あと何ができるか?」 を考えるようになりました。新しい住所教えてください、たまご送ります。 齋藤 富士雄 (株)愛鶏園 Tel 048−585−3381 fax 048−585−0853 〒369−0214 埼玉県大里郡岡部町本郷368 http://www.ikn.co.jp/ ------------------------------------ それは中国卵の輸入から始まった(1) ------------------------------------ 今また安い中国卵の輸入が問題となっているが、近代養鶏発展の導火線になっ たのがかっての中国卵の輸入であったことは忘れてはならない。 すこし歴史を振り返ってみよう。 大正11年(1922)中国卵の輸入はピークに達し国内消費量のなんと33. 4%を占めていた。大阪の都市部にいたっては93%が中国からの卵であった。 中国の主要積み地は上海、天津、青島の3港であり当初、集荷包装の点で問題 があったが日本の鶏卵問屋の技術指導で解決している。 なにやら最近の中国ネギが日本の技術指導で大幅に品質改善された話にちかい。 きっかけは大正8年(1919)物価高騰に苦慮した日本政府は鶏卵その他の 輸入関税(鶏卵は25%)を急遽撤廃した、以来怒涛のごとく中国卵は殺到し 国内の三分の一を占めるに至った。 卵価は暴落し当時養鶏農家への打撃は大きかった、その後養鶏農家のがんばり と政府による「鶏卵自給増産10ヶ年計画」(1927)があいまってついに 昭和7年(1932)中国卵の輸入はほとんどなくなった、それどころか逆に フィリッピン、ロンドン、満州国、その他に鶏卵を輸出していたことには驚か される。 逆境に耐え、それをバネに技術革新をし日本の近代養鶏発展の基礎をつくった 先人に敬意を表せづにはいられない。 まさにそれは「それは中国卵の輸入から始まった」のである。 ----------- ●返信:それは中国卵の輸入から始まった(1) 斎藤さん。お見舞い申し上げます。 近頃たまご事情のメールがないので忙しいのかな、と思っていました。脳 硬塞とは、私の脳出血より重症でしょう。再発の危険は大きいと言います 。やっぱり頑張りやに多いのです。限りある命です。ぼちぼちやりましょ う。私の今度の病気は治らないものと言われています。でも幸に慢性的に 進行するタイプで、もう少し長生きしそうです。普通に通勤し、生活して います。でも、何時入院するか解らないので、準備だけはしています。 住所は西東京市ひばりが丘2-2-1-106。0424-24-5488が電話です。 あとで、手紙を出します。お大事に。 原田勉 ■たまご送りました  原田先輩 心温まるお手紙有難うございました。 病気をしましたら落ち着いてまわりを見渡すことが出来ました、今までせかせ かと取り付かれたようにやってきたきたことは一体なんであったのだろうと考 えています。 これからはいままでやってきた無駄なことを削ぎ落として本当に大事なことだ けに絞らざるをえません。 病気は色々なことを教えてくれます。 そのうち自筆で手紙を書きます。 齋藤 富士雄 (株)愛鶏園 Tel 048−585−3381 fax 048−585−0853 〒369−0214 埼玉県大里郡岡部町本郷368 http://www.ikn.co.jp/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <演劇情報>文化座公演『夢たち』と三好十郎先生の教え ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  10月11日文化座公演の三好十郎作『夢たち』の初日を観た。 http://bunkaza.com/play/yumetachi/ 1943(昭和18)年に『演劇』に発表されたという。そのころ私は世田谷 の赤堤にあった三好十郎先生のお宅に人生相談に伺ったことがある。 戦争は次第に難しくなり、予備校の生徒だった私は進路に迷っていた。私が 寄寓していた石渉家の叔母・綱(つな・佐々木隆の姉)に従って三好先生を訪 ねた。叔母はある望みを私に託していた。  私は前年に農学校を卒業して上京。獣医か建築の学校に進むか、あるいは文 化座の研究生になって移動演劇隊に加わるかと悩んでいた。綱叔母は、三好先 生のように劇作家の途を進んで欲しいとの「夢」を持っていたからだ。  三好先生は、その時「君は農学校を出ているなら、宮沢賢治のように農業の 道を進むが良いのでは」と言われた。宮沢賢治の「雨ニモマケズ 風ニモマケ ズ」という詩は既に有名で、鈴木光枝さんから俳優養成の第1歩に発声練習と して詩朗読の手ほどきを受けていた。三好先生は、その宮沢賢治と東京で詩人 の会で会われたことがあるという。「宮沢賢治のように農学校の先生になって 農家の役に立つ人になってはどうか」と諭された。  叔母の夢はついえたが、三好先生のこの言葉が私の進路に大きく影響し、現 在の私の人間形成に多くの示唆を与えた。  私は『夢たち』の芝居の中にあったように、当時、満蒙開拓青少年義勇隊へ 進む道も考えたが、昭和18年12月には徴用令によって中島飛行機製作所の エンジン試運転工に動員された。その間も文化座の芝居・三好作品、とくに 「おりき」の初演は忘れられない。やがて自分も戦地に散る覚悟を新たにして、 1944(昭和19)年12月には陸軍飛行兵として現役召集を受けた。  文化座の『夢たち』上演は当時のことをなまなましく想い出させた。暗雲た れこめた時代に、それでも何かの夢を抱いて一生懸命に生きて行く庶民の姿が あった。先生の分身とも見えるひとびとを観て懐かしくもあり、先生の一言の 教訓を戦後実現した自分を客観的に観察できた思いがした。 私は1945年に軍隊から復員して現在の東京農工大学農学部に入り農業経 済学を専攻し、農業ジャーナリストとして、あるいは教育映画の製作にたずさ わり、現在は農文協図書館に勤務する傍ら、文化座友の会のお手伝いをしてい る。三好先生は亡くなっても私の心の中に生きている。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <農業・図書情報>農文協図書館の団野信夫文庫紹介 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 団野信夫(だんの のぶお)1909〜1999 http://www.ruralnet.or.jp/nbklib/book/080dannobunko.html 略歴:1909(明治42)年、兵庫県姫路市に生れる。 1932(昭和7)年京都大学法学部卒業、 1933(昭和8)年朝日新聞大阪本社入社、大津支局に配属された。日中戦 争の拡大とともに、 37年に北京支局、 40年に南京支局で戦局報道に従事した。 40年10月東京本社政経部員。 47(昭和22)年に論説委員となり、わが国初めて農政を専門に担当した。 61(昭和36)年出版局長・出版担当役員。 67年監査役、 68年朝日新聞退社。  69(昭和44)年から日本農業研究所の農業情報収集業務を嘱託された。 後に参与、理事となり、88(昭和63)年まで日本農業のアナリストとして 活躍した。59年から69年まで米価審議会、65年から74年まで農政審議 会委員として農業政策にたずさわった。朝日新聞社友、信越放送株式会社取締 役、農政ジャーナリストの会会長などを歴任。 農政ジャーナリストとして広範な活動をしたが、特に中国問題に多大の関心 を示し、朝日新聞論説委員時代から退社後も、幾度も訪中し、調査・報告書、 評論を多数執筆した。その集大成が『日本人と中国』である。 主な著書:『農業・農村・農民』1953年 朝日新聞社      『めざめる村々』1955年 新評論社      『農業と政治−農地改革後の日本農業』1957年 岩波書店      『ー農政記者の目』1977年 たいまつ社      『日本人と中国』1979年 たいまつ社      「山村振興の実情をみて」1980年               『農業事情調査報告書第24輯』日本農業研究所 『ー新聞記者の昭和体験』1992年 朝日出版サービス ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <想い出の人々>1、駒場社研と二人の恩師(山崎不二夫・大谷省三) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ (今の内に、忘れ難き人の記録を遺して置きたいと考え『想い出の人々』とし て連載することにした。人生76年いろいろな方に教えを受けた。多くは既に 亡くなったが、あの世に行ったら会えるという。そんなことを楽しみに) 私が1945年9月15日に仙台陸軍航空予備士官学校から復員して、東京 農専に転入学したのは11月15日だった。小出満二校長の温情ある英断に助 けられて、思いがけぬ国立の専門学校に入れた。その時永井威三郎先生や石井 悌先生など高名な教官に冬休みを返上して転入学生に補修授業をして頂いた。 農学は易しかったが山崎不二夫先生の数学や湯山先生の英語はさっぱり判らな かった。  1947年1月大谷省三先生が東京農専に見える前、私たち松坂正次郎・片 谷克也・井上喜一郎・山田民雄らはすでに「駒場社会科学研究会」に入ってい て社会科学の手ほどきを山崎不二夫先生から受けていた。  このお二人は私の生涯にとってきわめて深い影響をもたらした恩師である。  山崎先生は農業土木と数学の先生であったが、一年先輩の松坂正次郎さんの 誘いを受けて先生の研究室に行ったのは46年の夏ころではなかったかと思う。 当時松坂さんは「学校農場論」という激烈な学園改革の狼煙をあげていたので、 二年生の私たちも大いに影響をうけた。当時彼はもんぺに女下駄を履き、ちょ っとハスキーな高い声で学生自治会などでアジテーションしていた。  アジトは土木の山崎研究室で回覧新聞・気圏・耕人などとタイトルを変えな がら東京農林専門学校駒場社会科学研究会機関紙を発行し、また機関誌MAR SUも出していた。この機会に松坂さんの保存版から抜粋すると、先ず46年 の冬ごろ山崎先生の翻訳手書きになる「マルクス主義とは何か?」のテキスト を貰っている。今は忘れてしまったが、恐らく生まれて初めてこの偉大なる哲 学者で経済学者であるカール・マルクスの概要に接したのである。  間もなく大谷先生が農専に見え、その直後の1月23日には早くも大谷先生 の「賃労働と資本」の読書会を行っている。同じく31日には山崎先生の「農 業問題」読書会、2月1日は古島敏雄先生の「農業恐慌」の講演会、さらに2 月は大谷先生と山崎先生の同じテーマの読書会を二回づつ続け、27日には大 谷先生の「空想から科学へ」の第一回読書会を行っている。研究会の講師は外 部からは福島要一、朝野勉、信夫清三郎先生などを大谷先生のご紹介でお願い し、討論会では「恋愛結婚の是非」などを論じている。いずれにしても、駒場 社研は二人の恩師のおかげで活発に活動し、学生自治会の中核になった。また 山田民雄が初出演した「三年寝太郎」の演劇や学園祭の弁論大会などにまで発 展した。戦後激動期の学園の中でお二人の恩師の役割は大きかったと思う。 大谷先生の資本論の講義は割愛するが、私はその影響を強く受け、その後も 大谷先生の推薦で日本農業新聞に入り、また農文協の雑誌・出版・映画などの 仕事にたずさわった。生涯農業情報に関係したので、先生の終焉期までいろい ろご指導を受けた。夏の革新党創立記念日にはお会いする機会があった。そこ で、よく「ここだけの話だが」とか、「君だから言うのだが」とか社会党や共 産党批判、農業・社会情勢への悲憤をお聞きした。  それだけによく怒られもしたが、最後の怒りを買ったには、1989年石倉 皓哉君の全中常務就任祝いを準備しているとき、ある会合で先生が「俺がやら ねば」と言われるので「もう先生が俺が俺が、というのはやめてください」私 たちがやるんですからという意味で申しあげた。その晩11時ころ電話で「な んで俺が、俺がと言ってはいけないんだ、僕は今まで潮流に逆らっても自分の 主張を貫いてきた。俺が俺がが無くなったら僕の存在理由がないじゃないか」 と延々40分くらい説諭された。いろいろ言い訳をしたが怒りはなかなか納ま らなかった。よほど腹を立たれたのであろう。恐縮して翌日井上喜一郎をわず らわして酒をもって謝りにいったら「いやあ夕べは失礼した。花江にあとで原 田さんには大変世話になっているのになんであんなに大きな声で怒るんですか とたしなめられて、今わび状を書くところだった」といわれほっとした。いつ も奥さんには助けられた。  思えば先生は生涯一貫して、自らの主張を曲げられず、誰にも頭を下げず、 炎のような情熱を最期まで持ち続けられた。その結果「俺が、俺が」になった ことで、ときどきこちらも辟易することがあったが、あの個性は得難いもので あった。  不遜な表現であるが、大谷先生はビフテキのような濃厚な味で、山崎先生の ように薄味の淡泊さと対照的であった。動と静と言っても良い、しかもその芯 の強さは共通であった。私はお二人の得難い恩師を得て誠に幸せであった。お かげで今も、その門下生とのつき合いが私の人生を支えている。  余談だが、大谷先生の戦後農業ジャーナリズムでの活動は私の『戦後農業ジ ャーナリズム研究』(山崎農業研究所所報22〜23号)第2章4節に「ある 農政学者の足跡」として取りあげ、近代化論の旗頭と讃えている。また先生の 著作年表を分析し1946年から63年までの雑誌・新聞・出版に445点の 寄稿・編著があると紹介している。このほかラジオ・テレビへの出演も多く、 杉並税務署では所得番付を「芸能人・タレント」の分類に入れていたくらいだ った、と先生に聞いたのもこの頃である。  最後に先生の『自作農論・技術論』『私の歩んできた道』など主要著作を私 が所属する農文協グループにおまかせ頂いたのは、不肖の弟子に対する励まし と今でも感謝している。また、先生の著作は雑誌論文と未発表論文など、私が 勤めている農文協図書館(JR吉祥寺駅からバスで5分)に保管されているの で、ご覧になりたい方はどうぞ、ご遠慮なくお申し越しください。 山崎不二夫文庫 http://www.ruralnet.or.jp/nbklib/book/073yamazakibunko.html 大谷省三文庫 http://www.ruralnet.or.jp/nbklib/book/082ootanibunko.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <私の近況報告>10月11〜24日文化座の芝居、山田夫妻と会食 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ・10月11日(木)『電子耕』68号発行。いつもすぐ反響のメールが入る が今回は無し。夕方、新宿紀伊国屋ホールで文化座の『夢たち』を観る。感想 は本誌<演劇情報>に三好先生の思い出とともに書いた。 ・12日(金)農文協図書館に、農文協創立者・古瀬傳蔵顕彰のため、彼が編 集・発行した大正11年から昭和15年までの『農政研究』全38巻(復刻版) を揃えて写真撮影。午後から農工大日中友好会の下田博之、野田太、立石洋見 氏来訪。第8回中国同窓会の報告を聞きホームページの編集打合わせを行う。 ・15日(月)近藤康男先生、高血圧のため先週からお休みだったが、もう1 週間自宅周辺で散歩と静養との連絡あり。農文協図書館のホームページに団野 信夫文庫の紹介原稿作成(本誌掲載)。 ・16日(火)鍼治療に五反田の山下治療院にゆく。これは4年まえから定期 的に週1回治療して貰っている。血圧安定と全身の活性化のため。これを中国 では未病治療という。私の延命健康法といってもよい。 ・17〜19日、農文協図書館の上期事業報告原案作成。私は主としてホーム ページに個人文庫の略歴紹介をすること。菱沼達也・大谷省三文庫の原稿を完 成した。共に忘れ難い恩師である。本誌に順次掲載予定。 ・20日(土)文化座『夢たち』の千秋楽を観に行く。演出家が降板・交代し た結果、昭和18年当時の三好作品としてすっきりした。           ・21日(日)9時からアパート自治会の清掃に出る。落ち葉が多くなった。 排水溝に詰まった落ち葉をかきだし菜園の堆肥材料に頂く。  午後からカラシナを間引き、台所で浅漬けの材料を調製する。 ・22日(月)図書館で近藤康男先生久しぶりのご出勤。 ・24日(水)劇作家山田民雄とフリーライター桂子夫妻に招かれて家内と共 に昼食をご馳走になる。お互いに元気な内に会っておこうと。 ---------------------------------------------------------------------- <<*訂正記事>> 前号の、 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <舌耕のネタ>「どんなことがあっても日本は戦争をしてはならない」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 文中、満州事変とあるは「満州事変」、「支那事変」とあるは日中戦争、 それぞれの誤りでしたのでここに訂正しバックナンバーを修正します。 参考URL朝日新聞ルックバック20世紀 http://www.asahi.com/edu/lookback/015.html ━PR━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■■■■  劇団文化座創立60周年記念第2弾 斎藤真一没後10年 ■■■□     劇団文化座・サンシャイン劇場提携公演 ■■□□        『 瞽女さ、きてくんない 』 ■□□□      脚本/堀江安夫・演出/佐々木雄二 □□□□   公演日程 2002年2月9日(土)〜17日(日) □□□□ 会場 池袋サンシャイン劇場 前売開始 2001年12月3日(月) http://bunkaza.com/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━PR━━━ 『電子耕』から大切なお知らせ http://nazuna.com/tom/10.html <本誌記事の無断転載を禁じます> ********************************************************************   隔週刊「76歳が送る農業文化マガジン『電子耕』」  第69号 バックナンバー・購読申し込み/解除案内 http://nazuna.com/tom/denshico.html 2001.10.25(木)発行      東京・ひばりケ丘  原田 勉 mailto:tom@nazuna.com ***発行部数 1742部(前号比378部増)**********ここまで『電子耕』*******