********************************************************************* 週刊「74歳が送る農業文化マガジン『電子耕』」 第13号 --農業・健康・食・図書・人物情報--  http://nazuna.com/tom/denshico.html 1999.9.23(木)発行      東京・ひばりケ丘  原田 勉 mailto:tom@nazuna.com ********************************************発行部数1327+44部******** <キーワード>   農業を中心として健康・食べ物・図書・人物・庶民の歴史をめぐる雑学情報 を提供し、お互いの意見交換の場を作りましょう。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <「電子耕」原稿・投稿募集> ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ● このメルマガは読者の意見交換を一つの目的にしています。 「キーワード」の趣旨にそった投稿を募集しています。 ●字数は一人1回500字から1000字くらい。メールで   送って下さい。掲載するときのネームも添えて下さい。 mailto:tom@nazuna.com ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <読者の声> ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ □□□12号の反響□□□ ●ペンネーム:陣強さん  9月16日第12号でひとつ疑問に思ったことがありました。  「日の丸・君が代」への御意見についてです。  所謂「日の丸・君が代法案」というのは、それを強制させるのが 目的なんでしょうか?。どうやら原田さんはそのように受けとめて おられるようです。少し残念です。    マスコミのたれながしを、そのまま受けとめればそういう事にも なるのでしょうが。  ちなみに私は24歳です。 --------- バックナンバー12号 http://nazuna.com/tom/1999/12-19990916.html --------- □□□電子耕1000部突破読者プレゼントの反響□□□ *当選者の発表は次号で行います。 ●ペンネーム:ひろさん  昭和30年生まれです。  中学生のとき 尊敬する担任の先生が 音楽担当の先生で 国家 君が代の練習をする時間に 君が代の言葉の意味を 「君というのは 天皇のことを示し 昭和20年までは 国民は 天皇を尊敬し 天皇のために 戦争に行くという 教育をされてきた。」 (と教えてくれました。*)*引用者付記  それ以来 私はずっと 君が代は天皇の歌なのだと 思っています。 解釈はそれぞれあるのでしょうが、今回の国会の 日の丸君が代法案は 納得できません。 --------- ●ペンネーム:知子さん  私は30代の主婦で3児の(8歳、5歳、3歳)母です。  家事や子育てに追われる中、何か新しい刺激が欲しいと思い、「電子耕」 を購読しはじめました。    原田さんのお父様の自殺の話しや12号の金鵄勲章の話し、毎号掲載される 健康食など興味深く拝見しています。  「雲南の旅」は大変充実した素晴らしい旅だったようですね。  帰国して、1300人の読者に迎えられた原田さん、これからもご活躍を 期待しています。 --------- ●ペンネーム:sakiさん  電子耕1000部突破おめでとうございます。  私は、現在20歳の無職の女性です。  「電子耕」は創刊時から講読させていただいています。 購読のきっかけは、原田さんが、亡くなった私の祖父と同じくらいの年であり、 その祖父も農家で、馬鹿な話、いなくなって初めて祖父の大切さを理解し、同 じ頃の年代である原田さんを通じて、祖父が何を考えて生きていたのかを知る きっかけになればと思ったからです。  「電子耕」というタイトルとは裏腹に農業に関する記述は少なく、正直思惑 は外れたのですが、祖父にとっても大切な時代であっただろう戦中・戦後の暗 闇の部分がとても解りやすく書かれていて、大変興味を持っています。  私の祖父も戦時中は満州やシベリアへ出兵(と言うのでしょうか?兵隊でし た)していたそうで、昔からよくシベリアでの捕虜生活の話を聞かされていま した。  最近、思うのです。  今こそが、あの戦争をもう一度よく振り返る時期なのではと。  戦争も知らない女が憂えても仕方がないかもしれませんが、原田さんの「電 子耕」が、私に、そして1300人以上の方に、戦中・戦後の知識を与えるこ とを願います。 --------- ●ペンネーム:猫太郎さん  毎日新聞で拝見して、初めてメールマガジンと言うものを知り、初めて購読 させてもらいました。  私はEメールを始めて5ケ月のまったくの初心者です。  始めたきっかけは、娘がイギリスに留学したためです。  娘からEメールは、早くて経済的だから、覚えてちょうだいと言われ、ワー プロも触った事もない私は、それからは地獄の日々を過ごしました。 息子に習ったのですが、飲み込みが悪いので、<本当に覚える気があるの?> とか言われて・・・・・・  今日のこのメールも正しく届くのかどうか・・・・・心配です。    毎週楽しみにしています。  80才の姑の世話をしながら、パソコンにむかっている時が、自分であるよ うな気がします。  頑張ってください。 ------------- みなさん、ありがとうございました。 *この他の反響は紙面の都合で次号に掲載させていただきます。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 目 次 <舌耕のネタ> 日の丸・君が代の次は? その2 <庶民の歴史> 金鵄勲章・その2、昭和編 <秋の健康食> 9月のしゅんの野菜         (13)サトイモの田楽 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <舌耕のネタ> 日の丸・君が代の次は? その2 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  8月は敗戦前後の想い出を連載していて、農業と離れていましたが次の号か ら農業マガジンに戻ります。  それにしても、ここのところ国会などで戦争のにおいのすることが多くて、 不安を感じています。本号は前回の続きです。  明治時代末期から昭和前期にかけての亡霊が徘徊している。  富国強兵を合い言葉に、日清・日露戦争を戦い、そのぎりぎりの勝利に自惚 れて軍隊を増強した。その軍事力を背景に朝鮮を併合し、中国東北部に偽満州 を打ち立て、やがて宣戦布告なしに中国全土にわたる拠点地域を占領しつづけ た。  それを大東亜共栄圏建設と称し、聖戦と偽って侵略をつづけた。 そして、やがて石油などの資源を求めて東南アジアまで進出し、米英オランダ まで敵に廻して大東亜戦争となった。  その犠牲になったのが日本国民であり、多くの戦没者であった。もちろん占 領地の住民にも多くの被害を与えた。  今年の8・15戦没者慰霊の日に戦後はじめて国歌「君が代」が斉唱された。  聞いていて参列の遺族や国民はどんな思いだっただろう。  私も遺族のひとりである。次の金鵄勲章の話に出てくる義兄が中国で戦死し たから、戦時中は東京に出てくると必ず皇居遥拝と九段の靖国神社参拝は欠か さなかったものである。  敗戦後は気になりながら近かづかない。8・15に閣僚たちが参拝するのを 苦々しく思っている。軍閥の指導者やA級戦争犯罪人が一緒に祭られているか らだ。  今回の読者の声欄にあるように、「中学生のとき尊敬する担任の先生が(中 略)君というのは天皇のことを示し昭和20年までは天皇のために戦争に行く という教育をされて来た。」といわれたという。だから今回の国歌法案は納得 できないとの声である。  私も、同じような教育をうけ、軍隊にかり出されて痛い目にあったので、再 び戦争の悪夢が繰り返される不安を感じている。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <庶民の歴史> 金鵄勲章・その2、昭和編 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  日露戦争から32年目、1937(昭和12)年7月蘆溝橋の一発の銃声で 始まった「北支事変」は当時12歳であった少年の私を興奮させた。  国民の多くは軍部の方針であった「暴支庸懲」を信じていた。新聞などもそ れを支持し、学校教育でも「暴虐な支那をこらしめるための戦争」と教えてい た。私は本当にそう思っていた。  同じ年の8月に起こった上海事変には海軍に入っていた従兄の原田繁栄が戦 艦「陸奥」に乗っていて、陸戦隊として戦ったという知らせがあった。もう一 人の従兄原田早巳男(サミヲ)は熊本の第六師団第13連隊にいたが現役兵と して「中支那」に派遣された。  この従兄が戦死して金鵄勲章をもらったひとである。  8月15日には「北支事変」の名称が「支那事変」というようになった。そ のうち私の長兄も熊本の軍隊に補充兵として入隊した。  もともと熊本県人は、気質的に軍人に適しているといわれ、職業として軍人 をえらぶことをよしとする風土である。  軍神・西住戦車長をだした土地柄である。  私の従兄早巳男は3反5畝(35アール)の小作の子ではうだつが上がらな いと18歳で陸軍を志願した。  村の模範青年は軍隊でも模範的な下士官になった。私の長兄は補充兵であっ たが戦線拡大のため熊本の13連隊に召集され、やがて中支那派遣部隊に配属 され、最後はボルネオで敗戦後捕虜になった。  九州の第六師団は死ぬことを恐れず勇猛果敢なことで日本一の最強部隊とい われ、その勇名は中国でも知れ渡っていたという。  そういう風土に育ち、身近な兄たちに刺激されて、私も早く大きくなって軍 隊に入り、将校にまでなりたいと思っていた。  そうしている内に、同じ村出身の浜州上等兵が戦死した。村で初めての犠牲 者であった。続いて私の従兄原田早巳男が戦死したという公報が届いた。早巳 男はまだ満21歳であった。 「昭和十三年八月二十日午前六時 中支那、安徽省大湖県花涼店付近ニテ原田 早巳男伍長勤務上等兵戦死ス」  伍長勤務上等兵は後の兵長で下士官であった。熊本の第六師団は九州出身の 兵隊で編成され、特に第13連隊は熊本の郷土部隊で中国軍にも恐れられ、行 くところ敵無しだと聞かされていた。それだけにその強い軍隊の中でどうして 戦死したのか。  後日届いた部隊長からの手紙では、 「原田伍長勤務上等兵は常に右翼の先頭にたち率先垂範よく部下を指揮し、わ が連隊の模範となって戦っていた。八月十九日に占領した敵の拠点を守備して いたが、二十日未明敵は小癪にも夜襲をかけてきた。わが軍はその敵をよく撃 退したが、先頭に立っていた原田班長は明け方にいたり、敵の狙撃兵の標的と なって名誉の戦死をとげられました。連隊長としては功六級、二階級特進(曹 長)の申請をした」  という意味のものであった。  やがて秋になってから遺骨受領に叔父は熊本の第13連隊までいった。私の 姉が付き添い、部隊では訓練中の長兄にも会ってきた。  村に遺骨が届き、村人の列に迎えられた。白木の箱を持つ叔父に続いて姉が 金鵄勲章を奉じていた。  功六級の勲章は盾と剣を組合わせた意匠で金色に輝いていた。それまで本物 の金鵄勲章を見ていなかった人々は驚いていた。  私も金鵄勲章の写真は見たことがあったが、実物を手にとって、その重さや 金色の輝きに見とれた。  「こりゃ純金じゃろか、いや十八金じゃろかな」  それには誰も返事しなかった。叔父は表情もなく終始黙っていた。 まわりの人たちも、その心中を察したのか黙り込んだ。  功六級の金鵄勲章のうわさは村中に広がった。私は自分の身内にこういう名 誉あるものが出たことを誇らしく思った。  村では盛大な村葬が行われた。  村をあげての葬儀は小学校の校庭に天幕をはり、祭壇を設けて多くの参列者 があった。一人息子だったことで村民の同情が集まった。特に青年団で彼はス ポーツ万能、運動会の花形だったから女子団員でも悲しむものが多かった。  村葬では早巳男の兄弟がないので従兄弟たちが手伝った。従弟の私も位牌、 遺影に続く勲章持ちの手伝いをした。小学校の葬儀場から墓地に向かう沿道で も多くの村民が手を合わせて見送った。  私は、その先頭の一団にいる自分が晴れがましかった。  墓地では墓穴のまわりに親戚と村役だけが立ち会い、土をかけた。 その時突然、叔母は墓穴に飛び降り、遺骨の入った棺桶にすがりつき、 「サミヲ、サミヲ、なぜ死んだ、なぜ死んだ」  と哭き叫んだ。いままで涙を見せまいと我慢してきた叔母のなげきに親戚中 がその場にしゃがみ込んでむせび泣きした。  私も涙をこらえきれなかった。  葬儀のあと、寝込んだ叔母はついに起きあがることもなく、半年後に早巳男 兄の後を追って亡くなった。  叔父も一人息子を失った上に妻も亡くして気の抜けたようになった。何も手 につかず、田圃は草だけがはびこっていた。  やがて、一周忌が過ぎてから親戚の世話で、私が養子に迎えられた。小作田 3反5畝でも叔父一人ではできない。私はすでに父を亡くしていたが本家の五 男でいずれは他所に出る身であった。  就職するにも農業学校くらいは出ていないとと進学して一年生であった。前 もって親戚中が話し合って決めて、未亡人である私の母に頼んだようだ。私に は決まってから知らされた。こどもの意志など尊重されない、そんな土地柄で あり、そんな時代であった。  私は、戦死した従兄のかわりが勤まるか不安だったが、財産もなく、家つき の娘もいない気楽さと、何といっても苗字が変わらないので反対しなかった。  養父は、条件として、 「戦死したものに金鵄勲章の年金は来ないが、恩賜金壱千円が下された。国債 だが、これを資金にして獣医学校に進学してもらいたい」  ということだった。  軍馬の獣医なら前線でも、突撃隊には加わることはないだろう。 「どうせ徴兵されるにしても戦死する確率がすくないところに」  という養父の願いが込められていた。  私は熊本の農業学校から東京の獣医専門学校進学をめざした。農業学校の軍 事教練にも積極的に参加し、配属将校の「士官的」という合格印を獲得しよう と努力した。剣道も有段者になり、日本刀を買い込んで居合道の道場にも通っ た。しかし、獣医学校には合格せず、浪人中に武蔵野の中島飛行機工場の試運 転工に徴用された。  1944(昭和19)年徴兵繰り上げで航空教育隊に召集され、混乱した中 の軍隊生活を経験した。最後は本土防衛の下級将校養成のための航空予備士官 学校在学中、敗戦となって郷里に復員した。  1945年敗戦となって、戦死者の遺族に贈られた恩賜金壱千円の利付き国 債は、戦後のインフレで無価値同然となった。  軍隊が解散し復員軍人が帰還して、早巳男兄とともに戦った戦友が当時の模 様を報告に来てくれたが、戦時中に語られていた「勇猛果敢な六師団は向かう ところ敵なし」というのは正確ではなかった。  「杭州湾に上陸、南京攻略に参加したが、その後の漢口攻略は苦戦の連続で あった。早巳男君が戦死したところは壮烈な戦いで、敵も勇敢だった。夜討ち 朝駆けは日本軍だけの得意戦術ではなかった。乏しい武器弾薬で日本軍がよう やく占領した高地を、その翌日には支那軍に夜襲をかけられ、全滅に近い打撃 をうけた。  蒋介石の精鋭軍隊であった。自分たちも分隊長だけが残るというくらいにや られ、機関銃はあっても、撃つ兵隊がいないという状態だった。もうむちゃく ちゃだった。」  という。  戦時中は遺族の田植えなどは手伝いに来てくれる人もあったが、末期にはど こも人手がなく、村でも特別の配慮ができなかった。  養父は45年春の種蒔きまではやったが田植えができず、小作田を地主に返 してしまった。  後に農地改革で自分の土地になる筈だった自宅前の水田は他の小作人のもの に成ってしまった。私は郷里で農業をする土地もなく、ふたたび上京し、親戚 の叔父の援助で東京農林専門学校(現・東京農工大学)にすすんだ。  養父は農業もやめて病気がちになった。そして入院中に留守宅は火災に遭っ た。無人の火の気のない家が燃える筈がない。放火と思われたが、確証は無か った。  「戦死した遺族には年金がくる、しかも金鵄勲章をもらった早巳男どんの家 では不自由しないから寝て暮らしてるんだろう」  といううわさが流れ、それをねたんだ者の犯行だろうという人もあったが、 事件は迷宮入りになった。  私は養家に帰ってみたが、何もかも焼けてしまっていた。  養父が退院後、私も手伝って、ぼつぼつ後片づけをしていたが、仏壇の跡か ら焼けた金鵄勲章が出てきた。外箱は燃えて、功六級の金色はメッキが剥げて、 緑青に変わり、半分めくれていた。  その下から、鉛が露出していた。  鉛の勲章であった。    <この項 おわり> ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <秋の健康食> ◎ 9月のしゅんの野菜 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◎マツタケ、カボチャ、ニンジン、キャベツ、レタス   ○ナス、トマト、サツマイモ、サトイモ、ミョウガ、オクラ、    トウモロコシ、コマツナ (13)サトイモの田楽・今日は秋分の日、明日は十五夜 効 用:  あさっては旧暦の8月16日は十六夜(いざよい)、お月さまがいちばん丸 く見える日です。  きょうは芋名月にちなんで、サトイモの田楽はいかがですか。 月にむら雲がかかった感じで、いかにも秋らしい料理です。  サトイモはでんぷんのほかに、カリウムなど、いろいろなミネラルをふくん だアルカリ食品です。  最近ことに若いひとなどこうした根菜を食べることが少なくなったのではな いでしょうか。成人病予防のためにも、もっとたくさん食べたいですね。クリ ごはんにもよくあいます。 材 料:小さめのサトイモ、甘口みそ、砂糖、みりん、だし汁。 作り方: 1、イモに皮をむき、塩と酢を少し加えた熱湯で4〜5分ゆで、ぬめりをとる。 2、さらに水洗いしてぬめりをとり、なべに入れて酒と砂糖と塩でうすく味つ けしてことことと炊きあげる。 3、小なべに甘口みそ、砂糖を入れて弱火にかけ、だし汁とみりんでのばしな がらよく練りあげる。 4、器に小イモを盛り、田楽みそをかけ、ユズの皮をみじん切りして散らす。 -------------------------------------------------------------------- 次予告:14号・ブドウの品種改良に取り組む人。 15号・遺伝子組み替え食品の是非・入門 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■山崎農研発行の書籍のご案内 http://www.taiyo-c.co.jp/yamazaki/yama_books.htm ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■■■■ (社)日本劇団協議会主催 創作劇奨励公演 劇団文化座制作 ■■■□    平成九年度文化庁舞台芸術創作奨励特別賞 受賞作 ■■□□ 世紀末の田端にこだまする幕末青春鬱屈伝 新しい時よ来たれ! ■□□□     ◇◇◇「 祭 り は ま だ か 」◇◇◇ □□□□     鳥海 二郎 作   佐々木 雄二 演出 □□□□ 1999年12月10日〜19日  東京・田端・文化座アトリエにて □□□□ http://nazuna.com/bunkaza/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ●協力をいただいているサイト紹介コーナー 「農文協ルーラルネット」 http://www.ruralnet.or.jp/ 「山崎農業研究所」 http://www.taiyo-c.co.jp/yamazaki/yama_frame.htm 「劇団文化座」 http://nazuna.com/bunkaza/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ここまで読んでいただきありがとうございました。 ■ご意見・ご感想は、Eメール mailto:tom@nazuna.com または、電耕掲示板 http://www62.tcup.com/6201/tom.html? までお願いします。 ●メール送付の際のご注意!!! ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^  最近頂くメールのなかに文字化けして読めないものがあります。 それらは例外なくMicrosoft Outlook Expressというソフトから発信されたも のでした。  Microsoft Outlook Expressは初期設定のままですと相手に文字化けメール を送ってしまうことが多いようです。 AVAC ONLINE SERVICE http://www.avac.co.jp/ の 「Microsoft Outlook Express をお使いの方へ」 http://www.avac.co.jp/oemail.html を参考に設定されることをお薦めします。  また、○のなかに数字が入った記号や半角カタカナもインターネットでは禁 止されている(他のパソコンで文字化けの可能性大なため)とのことなのでご 注意ください。  詳しくはHATさんの「インターネットメールの注意点」 http://www02.so-net.ne.jp/~hat/imail/cover.html をお読みください。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■バックナンバーは、 http://www.nazuna.com/tom/denshico.html のなかの「★バックナンバー」のそれぞれの号番号をクリックすると 読めます。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 『電子耕』は、2つのルートで配送しております。   『まぐまぐ(ID=14872)』 http://www.mag2.com/   『Macky !』 http://macky.nifty.ne.jp/ SPECIAL THANKS to INTERNET JAH http://www.jah.ne.jp/ ********************************************************************* 週刊「74歳が送る農業文化マガジン『電子耕』」 第13号 --農業・健康・食・図書・人物情報--  バックナンバー・購読申し込み/解除案内 http://nazuna.com/tom/denshico.html 1999.9.23(木)発行      東京・ひばりケ丘  原田 勉 mailto:tom@nazuna.com *************************************発行部数1327+44部***************