*********************************************************** 週刊「74歳が送る農業文化マガジン『電子耕』」第3号 --農業・健康・食・図書情報--自殺問題特集 http://nazuna.com/tom/denshico.html 1999.7.15(木)発行      東京・ひばりケ丘  原田 勉 mailto:tom@nazuna.com *************************************発行部数723+32部****** <キーワード>   農業を中心として健康・食べ物・図書・人物をめぐる雑学情報を 提供し、お互いの意見交換の場を作りましょう。  毎週木曜日あなたのメールボックスに無料で配信します。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 2号で紹介した友人・鈴木孝夫くんの御尊父が昨日永眠されました。 病気療養中とのことでしたが私と同じ74歳でした。 ご生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  目 次  <舌耕のネタ> ◎ 自殺問題特集「お父さん!死なないで!」 ◎ 自殺の原因・・父の場合を考える          ◎ 自殺のサインを見逃すな  <農業・図書情報> 1、条件の悪いところで成功した話(続)            2、蘆溝橋のそばに「日中友好森林公園」                <夏の健康食> 7月(旬の野菜)効用・材料・作り方             (3) 油揚げと野菜のみそ汁 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <舌耕のネタ> 自殺問題特集 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◎ お父さん! 死なないで!  厚生省や警察庁の発表によると、昨年の自殺者は3万2千人をこ えたと言います。  とくに五十歳代の男性の自殺が急増していると言います。 ●Yahoo! JAPANのトピックス:自殺問題 http://news.yahoo.co.jp/Full_Coverage/Suicide/ ●人口動態統計月報(厚生省) http://www.mhw.go.jp/toukei/10nengai_8/ ●Yahoo! JAPANのカテゴリ:生活と文化:自殺 http://www.yahoo.co.jp/Society_and_Culture/Death/Suicide/ ●自殺激増:史上初めて3万人を突破(kureさんのページ)  http://mx2.tiki.ne.jp/~k-1979/jisatugekizou.htm  景気が悪いため仕事がない自営業者、倒産やリストラなど原因は 色々あります。本当に痛ましいことです。私にとっても他人ごとと は考えられません。  今から70年前1929(昭和4)年アメリカでおこった世界恐 慌は日本にも及びました。そのときも自殺者が急増しました。  日本の人口が今の半分くらいの時、全国で1万4千人でした。割 合からすると今と同じくらいです。悲しいできごとでした。 私も自ら家の恥をさらさねばならないのですが、じつは、  私の父も1933(昭和8)年54歳で自殺しました。自営業者 (精米所経営)でした。 当時母は44歳、次男19歳を頭に5人の子供が残されました。  それからの遺族にとっては長い苦しい時代でした。  私は7歳、小学校の2年生。妹はまだ5歳でした。  いまでも鮮明に覚えているのは、仏壇の前に横たわった父の遺骸 のそばで、母は駐在巡査の事情聴取をうけていました。そばには黒 い帯と、それを切った古い鎌が置かれていました。  母は「気がついたときは納戸の部屋で馘をつっていました。まだ あったかいので急いでおろそうとしたのですが重くて下ろせません でした。それで鎌をもってきて帯を切りました」と言っていた。  私にはどうしてこうなったのか、なぜ父が死んだのか判りません でした。  湯潅のときも何もわからず、ただ冷たくなった父の背中をさすり、 大人たちのやることを見ていました。  棺桶を担ぐとき、いちばん大きい次兄が病弱で、お棺を担げなか ったのを見て葬式の参列者が涙を流したのを覚えています。  そのころから私の心の中に哀しみと怒りが団子のようにかたまり 残りました。  わたしはその後長い間父を恨みました。 残された家族には遺書もなく幼いこどもには原因がわかりません でしたが、後になって借金の始末をつけるための保険金自殺だった と判りました。  母は借金はみな無くなったと言っていましたが、親戚でも村のつ き合いの中でも肩身の狭い思いをしました。  兄達は学校の成績がよくて担当の先生から進学を勧められても、 母は中学や女学校にあげてくれませんでした。母は米や麦の行商を して暮らしていました。  ラジオが農村に普及して、私の家にも電気屋が配線しているとき 母は半狂乱になって電線を引きちぎり、止めさせました。どうして だ、と兄弟して抗議しましたが母は許してくれませんでした。 これは一つの例に過ぎません。当時倒産した家に世間の眼が許し てくれなかったのです。私たち兄弟は村の中でも、学校でも、親戚 のなかでも我慢、我慢が強いられて、かえって反抗心ばかりが強く なりました。  やがて、日本と中国との戦争が激しくなり、次兄が召集されて、 軍隊に入る前でした。納戸の箪笥から借金の証文の束をみつけまし た。十数枚で合計5000円近くありました。当時1軒の家が70 0円くらいで建てられた時代の5000円です。今で言えば3億円 くらいでしょうか。  とにかく証文が家にあることは借金は返した証拠だなと兄と話し ました。  やがて戦争が激化し、三男は海軍に私は十九歳徴兵で軍隊に入り ました。残された女ばかりの家で苦労は続きました。  敗戦によって幸いに三人兄弟が帰国したとき。苦労を重ねた母は、 「こんな時にお父さんが生きていたらどんなに良かったか」と初め て大きな声で泣きました。後家のガンバリで来た疲れがどっと出た ようです。  私は敗戦後の混乱した社会の中で「いかに生きるべきか」に悩み ました。二十歳の時です。そんな時、やはり「父がいたら」と思い ました。  そして父への恨みが消えたのはやはり自分が五十歳を過ぎてから でした。  確かに男の五十歳代は地獄です。体力は落ち、仕事でも先の見通 しもないとき、まだ子どもは小さい。職場でも新しい機器に挑戦す るのが億劫になります。しかし、責任は重い。いっそどこかへ逃げ てしまいたいと思うことがありました。  おそらく父も色々な困難と闘い、そして借金を逃れるために死を 選んだのでしょう。全く判らないでもありません。  でも、現在の中高年の方へ、申し上げたい。  ━━━━━━━━━━━━━━━  「お父さん!死なないで下さい」  ━━━━━━━━━━━━━━━    いまの中高年の方にも事情はいろいろあるでしょう。しかし、し かしです。  私は今でも思います。たとえ苦しくても、一時家出してでもいい から、お父さんは決して死なないで欲しい。家族のことを考えて欲 しいと思います。  こどもが大きくなってからでもお父さんは相談相手として必要な のです。    苦しいことは先ず家族へ、こどもだって七歳をすぎれば親のこと は判ります。  たとえ小さな子どもでも、大人扱いして率直に話して頂きたい。 ましてや奥さんに何も話さないで自分だけで悩むのは困ります。  ぜひ、考えなおして家族に相談して欲しいと思います。 ◎ 自殺の原因・・父の場合を考える (1)借金が返せない   大正時代の第1次世界大戦で日本は好景気になり、造船・鑛   工業など輸出産業を中心に株価が騰り、にわか成金がうまれ    た。農産物も値上がりした。   そのころ父は米の仲買や株式相場で1万円以上儲けたという。   しかし、大戦後の不況で株は暴落。儲けていたころ親戚・友    人から預かっていた借金だけが残った。昭和恐慌でますます    返せなくなった。   それでも、自殺がいちばん多かったころから4年も辛抱して、   なんとか挽回しようとあらゆる努力をしたが、株価は低迷、    米価はさがり、個人の力ではなんとも出来なかった。 (2)頼りにしている者が亡くなった   昭和7年10月、頼りにしていた25歳の長男が結核で死亡。   翌8年2月もう一人頼りにしていた甥が脳溢血で亡くなった。   満州にいた姪に「甥の死をいたみ、人生ははかない、自分も生   きる力がなくなった」と手紙を書きおくっていた。その直後の   3月自殺の途を選んだ。  (3)そこに生命保険があった 万一のときと言っていた生命保険金額が5千円であった。外国   の保険会社で自殺の時でも支払われる契約になっていた。   親戚・友人の借金は利子なしで、元金だけで勘弁してもらった。   それが残された者の精神的負担になってつきまとった。 ◎ 自殺のサインを見逃すな   今だから言えることであるが、家族が父の自殺を留めることが   出来なかった悔しさを思う。まえに「長い間私は父を憎んだ」   と書いた。   その思いは事実であったが、今思えばやはり自分中心の考えで   あった。   そこで、家族・友人にお願いしたい。   もし貴方の近くに過労やリストラ、借金に悩んでおられる方が   おられましたら、ぜひ力になって上げて下さるようにお願いし   ます。 (1)はなしを聞こう その人の身になって、まず話を聞きましょう。なかなか口を開   かない方が多いでしょうが、職場の帰りや喫茶店、飲み屋でも   よい、話を出しやすいところで話を聞きましょう。   あるいは林や海辺など自然の静かなところを歩きながらが話や   すいと思う。 (2)休ませよう・家族が付いて 悩んでいるとき、落ち込んでいるときは心の病です。風邪を引   いたら休むのが一番と言います。落ち込んでいるときも病気で   す。休むのが一番です。   家族はできるだけ近くにいて、病状を見るようにしましょう。   真面目な性格ほど、「うつ」になりやすいといいます。 「しっかりしろ」とか「がんばれ」と励ますのはかえって逆効   果です。 (3)参考資料   図書:「自殺のサインをみのがすな」稲村博著           農山漁村文化協会 1050円 http://www.ruralnet.or.jp/cgi-bin/isbn.cgi?isbn=ISBN4-540-83046-5 (会員でなくても買えます) :「昭和ひとけたの時代」近藤康男著           農山漁村文化協会 1050円 http://www.ruralnet.or.jp/cgi-bin/isbn.cgi?isbn=ISBN4-540-82017-6   WEBサイト:「借金と戦うためのホームページ」 http://www.hf.rim.or.jp/~mas/fight_01.html このサイトには、多重債務に苦しむ作者による借金返済のため の情報が掲載されています。 ※是非みなさんの感想をお聞かせ下さい。 mailto:tom@nazuna.com ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <農業・図書情報> ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 1、条件の悪いところで成功した話(第2号の詳報) ◆山崎農業研究所の会員総会は7月2日に開かれた。  その中で山崎記念農業賞を受賞した北海道の斎藤晶さん(70歳) は、北海道旭川の条件の悪い山地で乳牛の放牧をして成功している。  傾斜の強い山地で、牛に土を踏ませて耕し草地を作る方法を、蹄 耕法という。牛は草をなめるように成長点を食べ、歩き回る。蹄で 耕し、糞は草の肥料になる。  130ヘクタールの美しい山の牧場に115頭のメスにオス2頭 を配しておくと、100%自然交配で子牛を産む。  オス牛がいると熊も寄りつかない。熊は強いものには立ち向かわ ないからだという。にゅうぎょう乳牛1頭当たりの乳量は少ないが 経費がかからないから経営は成り立つ。 「自然の中に牛と人間が住まわせてもらっている」と斎藤さんは 言う。  戦後開拓に入植してから斎藤さんが環境に学んだ哲学である。そ れが今注目され、夏は関西から修学旅行の学生が訪ねてきて「いち ばん印象に残った」と感想文を送ってきたり、牧場の中に山小屋を 建て住んでいる都会人も数戸いる。  リストラに悩むひとや蒸発を考える人も一度訊ねて見る値打ちが ある。思い切って山で働き、自然の中で住んで見て人生を考え直す のもいいのではないか。 ◆日本最高の豪雪村(長野県栄村)で元気に活きる。  「農民の智恵と技で地域農業の自立を目指す田直し事業」を報告 したのは、高橋彦芳村長だ。  信越境の豪雪は140日根雪を残す。人口2900人、山林93 %、高齢者38%の広くて小さな悪条件の村での新しい村作りであ る。  山間地の段々の水田を補助金なしで使いやすい棚田にかえて行く 事業が田直し事業である。  ここでは、山菜料理やソバ作り、伝統工芸品の木工・和紙つくり・ わら細工・桐下駄つくりなど高齢者も元気を出している。雑穀生産 は日本一有名になって注文に追いつかないくらいだ。  また1998年には「絵手紙世界博」を開幕。全世界から8万通 の絵手紙が集まった。その展示も住民の手作業奉仕でできた。小さ な村が世界一大きいことをやったと住民は自信を持っている。  このほか、和歌山県の中辺路町真砂充敏町長の「森林・歴史遺産 など地域特有の資源を活かした中山間地域の活性化」についての報 告が注目された。  詳しくは山崎農業研究所所報「耕82号」に掲載される。 http://www.taiyo-c.co.jp/yamazaki/yama_kou.html 2、中国の蘆溝橋のそばに「日中友好森林公園」が開かれた。  今年も七夕の季節になった。夜中に空を仰げば天の河が広がる。  7月7日は北京の西近郊にある蘆溝橋で発砲事件がおこり、日中 戦争へ拡大した忘れられない日である。中国では7・7記念日であ る。  私たち東京農工大学日中友好会では北京在住の中国同窓生ととも にこの蘆溝橋に何度か行ったことがある。 1937(昭和12)年頃、当時中国からの留学生は医学や農学 を日本に学ぶため、東大農学部や東京高等農林学校に留学していた。  その頃の中国留学生と日本の教授の間には「魯迅と藤野先生」の ような師弟関係があった。留学生のノートに教授が朱筆をいれて指 導してもらったと感謝している同窓生がいる。  そのうち文化大革命で被害をうけた人もいる。現在生き残ってい る数人の中国同窓会の先輩に案内されて見学にいったのだ。お互い に不幸な歴史を思い出し、子子孫孫日中友好を誓いあった。  その蘆溝橋のそばに昨年10月「日中友好森林公園」が開設され た。中国日本人商工会議所や北京日本人会は、ここに至るまで荒れ 地の開墾・現地の土壌調査・樹木の選定・資金集めなどと努力を重 ねた。  この計画を私たちは知ってはいたが、協力はまだだった。しかし、 これからも桜5000本を植える目標だと聞いて、ぜひ中国のため 後世に何か残したいという日本人会に賛同し、寄付金をおくり桜や 松、柳の植樹を行うようにカンパを始めた。  現在のところ賛成者は数十人だが、志ある方は農工大日中友好会 事務局を兼ねる私までご連絡頂きたい。 mailto:tom@nazuna.com ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <夏の健康食> ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◎7月のしゅんの野菜(3) キュウリ、ナス、シシトウ、トウモロコシ、エダマメ、根ショウガ、 葉ショウガ、レタス、オクラ、トウガン、シソ、トマト、カボチャ、 ピーマン、サヤインゲン、 (3) 油揚げと野菜のみそ汁  効用:みそはたんぱく質やいろいろな必須アミノ酸をふくんでい     ます。それに、植物性の油揚げを入れれば、みそ汁の味が     濃くなり栄養がぐんとよくなります。 これに季節の野菜、     サヤインゲンを使うと色どりも美しく、食欲をそそり、     元気になります。  材料:みそは昔ながらの作り方をした、その土地のみそがよい。     だしは煮干し(イリコ・ダシジャコ)。油揚げ、     サヤインゲン、ワカメ。  作り方:   1、水に煮干しを10〜30分つけておき、弱火で煮だす。   2、油揚げと斜め切りのサヤインゲンを入れ、やわらかくもど     したワカメを加え、みそをといて入れ、煮立つまえに火を     止める。 ━━予告━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 第4号は「水上勉(80歳)の電脳暮らし」     「棚田」「稲作の起源」などをとりあげる予定です。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ●協力をいただいているサイト紹介コーナー 「農文協ルーラルネット」 http://www.ruralnet.or.jp/ 「太陽コンサルタンツ」 http://www.taiyo-c.co.jp 「劇団文化座」 http://nazuna.com/bunkaza/ ここまで読んでいただきありがとうございました。 --------------------------------------------------------- 『電子耕』は、2つのルートで配送しております。   『まぐまぐ(ID=14872)』(http://www.mag2.com/)   『Macky !』(http://macky.nifty.ne.jp/) ********************************************************** 週刊「74歳が送る農業文化マガジン『電子耕』」第3号 --農業・健康・食・図書情報--自殺問題特集 http://nazuna.com/tom/denshico.html 1999.7.15(木)発行      東京・ひばりケ丘  原田 勉 mailto:tom@nazuna.com *************************************発行部数723+32部******